ローディング

つながりブログ

まんまる人間とでこぼこ人間 ―敬愛する安部公房へ寄せて― 

2026.07.15 ブログ

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
「つながりブログ」をご覧いただき、ありがとうございます。

高校時代、安部公房の「砂の女」を読んだことをきっかけに、彼の作りだす「異様な世界」で苦悩し、懸命に生きようとする人間たちに衝撃をうけました。到底かなうものではないですが、今回は、いまだ尽きぬ彼への憧れを込めて、私の中の安部公房を書いてみたいと思います。

生来の気質や、育った環境によって、人間は二つのタイプになる気がします。

誰にでも当たり障りなく接して、相手の気持ちを第一に、不快な気持ちにさせないことを最重要事項として行動する「まんまる人間」。
仕事も柔軟にそつなくこなし、常に控えめでいるので、人当たりがよく、誰にでも好かれて頼りにされる人間です。

しかしまんまるゆえ、自分の意見、思想に関係なく、相手次第でコロコロと転がるので、時には全く反対の考え方にも賛同してしまい、「便利屋」として使われてしまっていることもありますし、しまいには、自分の意見や考え方自体がコロコロ転がるようになって、周囲からは「あの人は、自分の意思がない迎合主義」といわれるようになってしまいます。

そんなまんまる人間の正反対が、「でこぼこ人間」。
でこぼこ人間は、人付き合いにも、興味の対象にも、日々の生活にもでこぼこがあります。愛想なく、自分の意思を曲げずに、転がることなく自分の位置に留まるので、周りからは「近づきにくくて、分かりにくい人」と疎まれることもあります。それ故に衝突し、孤立して、生活も乱れがちです。

しかし、意を同じくする人、興味を持つこととは強い絆が生まれます。確かに生活は乱れているかもしれませんが、寝食を忘れて物事に取り組むので、誰も考えつかないイノベーションをもたらすことがあります。

もしかすると、まんまる人間はでこぼこ人間を「変人」と思う一方で、どんなことがあってもブレない生き方に憧れを持つかもしれませんし、でこぼこ人間は、まんまる人間を「迎合主義」と思う一方で、常に人の気持ちを考えるバランス感覚や人に好かれることを羨ましく思っているかもしれません。

でも長い人生、まんまる人間もでこぼこ人間もずっとそのままでいることはできません。社会という砂との衝突によって、自らの輪郭が変容していくことを受け入れていくのです。

まんまる人間のまんまるな表面は、砂との摩擦ででこぼこになり、なかなか転がらなくなって止まることが多くなります。その時、まんまる人間は、でこぼこ人間の、他人に左右されずブレない生き方を理解できるようになるのではないでしょうか? 

反対に、でこぼこ人間のでこぼこな表面は、砂によって次第にすり減って角がとれ、少しずつ丸くなります。その時、でこぼこ人間は、まんまる人間の摩擦を起こさず、他者を大切にする生き方を理解できるようになるのではないでしょうか? 

私は明らかに「でこぼこ人間」です。でこぼこした自分を受容しながら、「独りよがりで不寛容という角」の取れたでこぼこ人間になっていきたいと思っています。