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「St. Luke’s MD」に憧れて――山形から東京へ

2026.06.15

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
当院の「つながりブログ」をご覧いただき、誠にありがとうございます。

1994年3月に山形大学医学部を卒業した私は、4月から東京・築地の聖路加国際病院で、内科研修医として働き始めました。はるばる山形から東京のど真ん中の病院を目指したのには二つの理由がありました。

一つ目はかなり真面目な理由でした。当時は、医学部を卒業したら、そのまま大学の医局に入局して研修を始めるのが一般的でした。自身の専門分野を深めていくにはとてもいいシムテムなのですが、一方で、それ以外の知識や技術を得るのが難しくなってしまう側面もありました。私は、内科医として成長するには外科や小児科、産婦人科、放射線科などを現場で幅広く学ぶことが大切だと考えていました。例えば、自分が虫垂炎だと診断した患者さんが、その後どのような手術、術後経過を経て退院していくのかを理解しておく必要があると思っていたからです。また、内科医にとって、胸部や腹部のレントゲン・CTを読影する能力は欠かせません。放射線科でその力をきちんと身につけたいとも考えていました。こうした専門分野にとどまらない幅広い研修プログラムを提供してくれる病院を探していたところ、聖路加国際病院にたどり着いたというわけです。

もう一つは少し不真面目というかミーハーな理由でした。インターネットもない時代ですから、山形から上京して病院見学へ行きました。その当時の聖路加国際病院は、できたばかりのピカピカの建物で、病棟は全室個室、内装もモダンで洗練されていて、田舎の古びた病院しか知らない私は、ただただ圧倒されてしまいました。そして何より、そこで働く先生方がとても優秀で、殿上人のようにまぶしかったのです。しかも白衣の胸ポケットにある「St. Luke’s MD」という刺繍がまたなんともかっこよく、「自分もあれを着て仕事したい」という思いが湧いてきたのでした。

山形に戻った私は、早速、募集要項を取り寄せ、選抜試験と面接を何とかくぐり抜け、内科レジデントとして採用されました。こうして片田舎の医学生は、歴史ある聖路加国際病院で、医師としての第一歩を踏み出したのでした。

のどのイガイガと長引く咳① アトピー咳嗽

2026.06.01

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
「つながりブログ」をご覧いただき、ありがとうございます。

当院の咳問診に、「咳が出るときにのどの周辺が痒くイガイガするような感覚がありますか」という項目があります。のどの辺りが痒い、イガイガする――これらを「咽喉頭異常感症」といいます。咳がなかなか治らないと、「何か肺や気管支の病気になってしまったのでは」と考える方が多いと思いますが、咽喉頭異常感症がある場合、気管支や肺以外に原因があることが少なくありません。

その一つにアトピー咳嗽(がいそう)という病気があります。一般の方にはあまり馴染みのない名称だと思いますが、「アトピー」とついていることからも分かるように、アレルギーが関係している長引く咳です。アトピー咳嗽の定義は「花粉症などのアレルギー体質を持ち、季節の変わり目や天候の変化で悪化し、夜間を中心とした乾性咳嗽が続く」。一見、喘息と似ています。しかし喘息と違って気管支拡張薬を使用しても咳が止まらないことが特徴です。一方、アレルギーを抑える抗ヒスタミン薬は効果を発揮します。また、継続的な治療の必要がないことも、症状が軽快しても治療を続けることが推奨される喘息との違いです。アトピー咳嗽は、アレルギーの炎症によって咳のセンサーである咳受容体が過敏になり、「のどにじんましんができて、イガイガかゆくて咳が出る」とイメージをしていただくとわかりやすいかと思います。

ただアトピー咳嗽も喘息も、咳受容体が過敏になって咳が出るというメカニズムを共有していること、両者を明確に判定するためには一部の専門施設でしかできない特殊な検査を必要とすることから、実際の診察では確実に区別できない場面にしばしば遭遇します。特に抗ヒスタミン薬があまり効かない患者さんの場合は、喘息と同様に吸入ステロイドを使っていただくので、ステロイドが効いて咳が治った後に、ではこの患者さんは喘息だったのかアトピー咳嗽だったのか、治療の経過から判断するのはなかなか難しいのです。

 私は、地域のクリニックでの咳の治療で大切なことは、診断にこだわることではなく、ある程度の根拠をもって、辛い咳をできる限り早く止めることだと思っています。喘息とアトピー咳嗽は、区別して診断するのが難しいからこそ、呼吸器を専門とする医者にとって、限られた情報のなかで患者さんにとって最善の結果を出す努力を怠っていないか、根拠と納得をもって診断・治療できているかを振り返らせてくれる疾患だと感じています。

山形での6年間

2026.05.15

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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時代が昭和から平成へと移った1989年、私は山形大学医学部に入学しました。雪の降らない地域で育った私にとって、最初に驚いたのは、受験のため山形駅に降り立った時に感じた、凛とした空気の冷たさと降り積もった雪でした。入学が決まり、アパートへ引っ越しする時も、どれだけ防寒対策をしたらいいかわからず、六畳一間に石油ヒーター2台とこたつ、分厚い二重の遮光断熱カーテンを持ち込み、友人から「過剰装備」と笑われたことを覚えています。一年生の冬、凍結した道で滑って転びそうになる私の横を、地元のおばあちゃんがすたすたと追い抜いていくことも何度もありました。当時はスパイクタイヤがほとんどでしたので、アスファルトが削れ、春になると道路に深い轍ができているのも驚きでした。しかし、長く厳しい冬を抜けると、桜が咲き、新緑とともに一気に春が訪れる素晴らしさは、伊豆にいては経験できないものでした。

当時の医学部のカリキュラムは、2年間の教養課程ののち、医学専門課程に進むものでした。文系出身の私にとって、教養課程の物理、化学、数学などは、ほとんど呪文としか感じないもので、試験も半ば諦めて臨んでいました。幸い単位制であったこと、優秀な友人に恵まれたことで、なんとか無事に専門課程に進むことができました。

医学部の勉強はなかなかハードでしたが、勉強の合間に、春にはお花見、初夏にはサクランボ狩り、秋には馬見ヶ崎川の河原で芋煮会、冬には蔵王でスキーと、四季折々、自然豊かな環境で、沢山の素晴らしい友人と過ごすことができました。6年生になる頃には山形弁もうまくなり、病院での臨床実習で患者さんから山形出身と間違われるほどになっていました。

卒業後すぐに東京・築地の聖路加国際病院に入職し、以来東京で過ごす人生になりました。五十歳を過ぎた今、同窓生たちがそれぞれ責任ある立場の医師として活躍している様子をSNSで見かけるたびに、月日の流れを感じるとともに、学生時代の景色がふっとよみがえってきます。

写真は山形のサクランボです。サクランボ、桃、すいか、ぶどうなど四季それぞれのおいしい果物も、山形での日々を一層楽しいものにしてくれました。友人たちとサクランボ狩りに出かけ、元を取ろうとお腹いっぱい食べて、みんなそろってお腹を壊したことも今では懐かしい思い出です。

咳喘息と気管支喘息

2026.05.01

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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「以前、咳が止まらなくて診察を受けたときに、咳喘息といわれました」
「私は咳喘息ですか? 気管支喘息ですか?」

長引く咳の診察では、このようなお話を聞いたり、質問を受けたりする場面がしばしばあります。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、当院のホームページやブログでは、気管支喘息、咳喘息という病名を使わず、すべて「喘息」と記載しています。では、気管支喘息と咳喘息の違いは何でしょうか?

咳喘息の定義は、
 ・聴診してもぜーぜーという喘鳴(ぜんめい)を聴くことができない
 ・喘鳴や息切れを伴わず、咳だけが8週間以上続く
 ・気管支拡張薬が有効
というものです。そして、
 ・咳が3週間以上続いている場合は診断してよいが、3週間以内の場合は確定診断しない。
とされています。

逆に言うと気管支喘息とは、
 ・喘鳴、息切れを伴い
 ・聴診でぜーぜーという喘鳴を聴くことができる
と定義できます。つまり咳喘息と気管支喘息を見分けるポイントは「ぜーぜーと喘鳴が聴こえて、息切れしているかどうか」といえます。

しかし、普通の聴診では喘鳴が聴き取れないことがあります。聴診する時、私は患者さんに「息を思い切り吐いてください」と伝えています。「強制呼気」というのですが、強制呼気をしてもらうと、わずかな喘鳴でも聴き取れることがあるからです。過去に普通に聴診して、咳喘息と診断されたのであれば、喘鳴を聴き逃している可能性もあります。加えて、喘息には日内変動があるため、昼間、来院した時には喘鳴がなくても、就寝時にはぜーぜーしていることもあります。

息切れも同様です。咳がつらい患者さんの場合、自分が息切れしていることを自覚できていないことが少なくありません。「息切れはありません」とおっしゃる患者さんを診察時に注意深く観察していると、呼吸が早く、浅くなっている、つまり息切れしていることがあります。

また、「3週間以内の咳では咳喘息の確定診断はしない」とされていますが、ほとんどの患者さんは、咳が出始めて3週間以内の医学的に「急性咳嗽(がいそう)」と呼ばれる段階で受診されます。「8週間以上続く咳」が咳喘息の定義ですが、辛く苦しい咳を8週間も我慢できる患者さんは、あまりいらっしゃいません。つまり時期的に咳喘息と診断がつかない場合が多いのです。「咳喘息といわれて治療中なのですが、咳が止まりません」と来院された患者さんを診察してみると、咳喘息ではなく気管支喘息だった、ということもあります。

このように、気管支喘息と咳喘息を明確に区別することは難しく、当院のHPやブログでは、気管支喘息と咳喘息を分けずに記載しています。しかし実際の診療では臨床経過や検査結果から総合的に判断して診断・治療しています。

咳喘息についてもう少し詳しく説明すると、咳喘息は気管支喘息の亜型、あるいは前段階とされており、発作を繰り返しているうちに、30~40%が気管支喘息に移行するといわれています。ただし、この30~40%の中には、もともと気管支喘息だったのに、喘鳴と息切れがほんのわずかだったため咳喘息と診断されたケースが含まれているとも考えられます。

咳喘息の治療は、気管支喘息と同様に吸入ステロイド、気管支拡張薬の吸入療法が主体です。治療の中断は、咳の再燃や気管支喘息への移行リスクとなるため、最低でも1年程度、治療を続けることが推奨されています。ただ実際は、咳が止まると治療を中断される方が少なくありません。だからこそ、どうして続ける必要があるのか、続けることでどんな良いことがあるのかを丁寧にお伝えして、納得して治療を続けていただけることが、何より大事だと感じています。

H先生と挑んだ文系から医学部への道

2026.04.15

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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今回は、私の高校時代のお話です。
市立下田中学校を卒業した私は同じく地元の県立下田北高校に進学しました。明治時代に私立豆陽中学として設立された歴史を持つ高校ですが、普通の田舎の公立高校で、進学校ではありませんでした。ちなみに現在は統廃合して下田高校と名称変更しています。

高校でも中学の同級生らと一緒に吹奏楽部に入り、3年生の時には吹奏楽コンクールで県大会に進むことができました。曲はベルリオーズの幻想交響曲。3年生の夏休みまで部活に明け暮れ、コンクールが終わってから受験勉強を始めるという、なんとものんびりとした受験生でした。進路についても中学時代の夢のまま決めていました。日本史が好きだった私は、「教員免許をとって、中学、高校で歴史を教えながら、吹奏楽部の顧問になりたい」と考え、当然のように文系コースを選択していました。

そんな私が医学部受験を志したのは、3年生の夏休みのことです。なぜ急に医師になりたいと思ったのか――それは精神科医である叔母の影響でした。叔母は下田で開業し、今も現役で診療を続けています。当時の私は、朝早くから夜遅くまで精神科に限らず、すべての患者さんを診療し、往診にも出かけていく叔母の姿に「生涯をかけるに値する仕事だ」と肌で感じていました。

3年生の担任は国語のH先生でした。夏休みにあった進路相談で私はいきなり「医学部に行きたいです」と伝えました。H先生は「何を血迷っているのか」という表情で私を見つめ、「理系の科目をとっていないから医学部を受験することはできないし、そもそも今の学力では足りない。それに私立はお金がかかるよ」と諭すようにおっしゃいました。H先生に「私立に行けるお金はないので、国公立に行くつもりです」と宣言したのを覚えています。

とはいえ私自身も医学部に行ける学力がないことや、自分が選択していない理系科目が必要なことは分かっていましたので、現役合格は無理だろうと思っていました。しかし、時間を無駄にするわけにはいきません。今の私でも受験できる国公立の医学部はないかと受験情報誌「蛍雪時代」を調べました。そして、ほとんどの大学が理系科目を選択していないと受験すらできない中、山形大学医学部の一般推薦だけが受験可能であることを見つけたのです。

すぐにH先生に伝えて推薦状をお願いしました。先生は「神様仏様を思い浮かべて、(推薦状を)書いてみるよ」と快く引き受けてくださいました。また、受験科目について入試要項には「小論文、面接」としか書いていなかったため、H先生は直接、山形大学に問い合わせてくれました。おかげで小論文といっても、英語の長文を読んだ上で論述する形式であることが分かり、そこから先生によるマンツーマンでの小論文の特訓が始まりました。

受験当日、山形大学は雪に覆われていました(人生で初めて見る雪でした)。小論文の英語は、H先生の特訓の成果か、不思議なくらいすんなりと理解できました。同時に「僕がこれだけ分かるなら、みんなもスラスラ解けているのだろうな」と思ってもいました。

合格発表の日。新聞で私が合格していることが分かった叔母が、「合格したよ!」と大声をあげて私の部屋に飛び込んできました。一瞬、何が起こったのかわかりませんでしたが、次の瞬間には「やったあ!」と抱き合って喜んでいました。その夜は興奮してとうとう一睡もできませんでした。

翌朝、眠い目をこすりながら登校して職員室に直行し、H先生に「先生、合格しました」と報告しました。先生はキツネにつままれたような顔で「嘘だろ?」と一言、そして「まさか受かるとは思わなかったけど、臼井なら、もしかしたらと思っていたよ。おめでとう」と言ってくださいました。他の先生方も集まって「おめでとう、よくやったな」と拍手をしてくれました。

このように、私は医学部を目指す受験生として、ありえない過程を経て医師になりました。そんな私を支えてくださったH先生はその後、下田高校の校長になられ、ライフワークの漱石研究や、地元の文学史の編纂などで活躍されていましたが、先日鬼籍に入られました。先生のご冥福をお祈りいたします。

喘息らしさを測る③ 血清総IgEから分かるアレルギーとのつながり

2026.04.01

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
当院の「つながりブログ」をご覧いただき、ありがとうございます。

明確な診断基準がない喘息ですが、「タイプ2炎症」という「かいかいぐじゅぐじゅ」な気道の炎症(ただれ)が主な原因であることがわかってきました。前回、前々回のブログでは、このタイプ2炎症の有無、つまり「喘息らしさ」を持っているかどうかを客観的に判断する3つの指標のうち、呼気一酸化窒素(FeNO)と血中好酸球数についてご説明しました。今回は、3つ目の指標、血清総IgEについて書きたいと思います。

IgEは、免疫グロブリンと呼ばれるたんぱく質の一種で、アレルギー反応と深い関係があります。花粉、ダニなどの異物(アレルゲン)が体内に入ると、まずB細胞というリンパ球がIgEを産み出します。皮膚や気道などには、肥満細胞という細胞があるのですが、IgEはこの肥満細胞に結合します。体内に再びアレルゲンが入ってくると、IgEがアレルゲンを捕まえ、それを合図に肥満細胞からヒスタミンという物質が放出されます。本来、ヒスタミンはくしゃみ、鼻水、涙、咳などを起こすことで体の中から異物を排除する防御機能を担っているのですが、この反応が強すぎるとつらいアレルギー症状になってしまいます。皆さんご存じの花粉症治療薬は、抗ヒスタミン薬と言われ、このヒスタミンの作用をブロックすることで症状を緩和します。

血清総IgEとは血液中にあるIgEの総量のことで、採血して測ります。スギ、ダニ、カビなどいろいろなものに対してアレルギーがある患者さんでは、数値が高くなる傾向があります。アレルゲンの影響を受けるため、数値が大きく上下するのですが、アトピー性皮膚炎がある喘息患者さんでは、常に高い値を示します。IgEの検査には、血清総IgEと特異的IgEの2種類があり、血清総IgEがアレルギー体質の有無や傾向を示すのに対し、特異的IgEはどのアレルゲンに反応しているのかとその反応の強弱を教えてくれます。

喘息に関係するアレルゲンの多くは、花粉、ハウスダスト、ダニ、動物の毛など、気道に吸い込むことでアレルギー反応を起こすタイプのものです。日本人では特にダニが強く関係していると報告されています。血清総IgEと特異的IgEを測定することで、喘息と合併することが多いアトピー性皮膚炎も合わせた治療やアレルゲンの回避、ダニ舌下免疫療法などを行うことができ、喘息患者さんの生活の質の向上につながると考えられます。

私は、血清総IgE値が非常に高く、いろいろなアレルゲンに反応してIgEがたくさん作られてしまう体質(これを「アトピー素因」といいます)を持つ喘息患者です。そのため、様々な刺激によって咳や喘鳴が出て、皮膚がただれたり、かゆみが起きたりしてきました。アトピー素因は、小児期に改善することもあれば、私のように成人になっても残ってしまう場合もあります。私と同じようにアトピー素因を持つ患者さんは「咳が出るのは当たり前」「かゆくなるのは当たり前」の生活を長く続けていることが少なくないのですが、吸入ステロイドや外用薬、注射で行う生物学的製剤を上手に組み合わせて、タイプ2炎症を抑える治療をしっかり行うことで、当たり前だった咳とかゆみの毎日を変えられるようになってきました。そのお手伝いができればうれしく思います。

路地裏の少年が浜省に出会った日

2026.03.15

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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先月のブログ「Y先生にあこがれて」をお読みいただいた方は、中学時代の私を、吹奏楽部ひとすじのクラシック少年だと思われたかもしれません。実は違います。吹奏楽部顧問のY先生と同じくらい、いやそれ以上にあこがれの存在がいました。日本を代表するシンガーソングライター、「浜省」こと浜田省吾さんです。

私と「浜省」との出会いは、小学校6年生の時でした。私の通う小学校の体育館で「浜田省吾コンサート」が開かれたのがきっかけです。田舎の小学校ですから、体育館はかまぼこ型の屋根をした木造建築で、もちろん音響など全く考慮されていません。でも当時の下田には、市民会館のようなものがなく、浜省のコンサートは小学校の体育館、郷ひろみのコンサートは中学校の体育館といった具合に、コンサートだろうが演劇だろうが体育館が会場となっていました。

1980年代前半、浜省は20代でした。コンサートでは、大音響でロックンロールが響きわたるなか、会場を沸かせようと、浜省が「もっと盛り上がっていこう!」と呼びかけます。しかし、聴衆はおじいさんおばあさんばかり。立ち上がるわけでもなく、パイプ椅子に行儀よく座ったまま曲にあわせて手拍子をし続ける――。なんともいえないシュールな光景が広がっていました。浜省ファンの方には「『僕と彼女と週末に』に勝るとも劣らない奇妙さ」と言えば、会場の様子が分かっていただけるかもしれません。40年以上経った今でも鮮明に覚えています。

それでも、生まれて初めてのコンサートが浜省、という衝撃は大きく、「路地裏の少年」(浜省の代表作のひとつ)ならぬ田舎の洋服屋の少年は、そのパワーにただただ圧倒されていました。コンサート終演後、家の隣のレコード屋に駆け込み、お小遣いをはたいて浜省のアルバム「愛の世代の前に」を購入しました。このアルバムは、ライブで大合唱になる「ラストショー」や、のちにミリオンセラーになる「悲しみは雪のように」などが収録されており、まさに珠玉のアルバムです。

高校生になり、周りの友人にも浜省好きが増え、「J BOY」「19のままさ」などの曲をよくみんなで歌ったものでした。その後も人生の折々で、浜省の歌に涙し、励まされ、前を向いて進む勇気をもらってきました。まさに「君が人生の時」(これも代表作)です。

浜省の人生は、「ソングライターの旅」だとご自身が語っています。若さ、貧しさ、孤独、反逆、後悔、哀しみ、恋愛、友情、家族、、、。人生という旅の過程で経験したこと、感じ取ったことを書き、歌い、同じような人生を歩んだ聴衆が、それを感じとるからこそ、メディアにほとんど出演しない、70歳を超えた浜省のライブに、未だ一万人以上の人たちが集まるのだと思います。私も一昨年、有明アリーナで開催されたライブに当選して、70歳を超えても19のままの浜省のパワーをもらうことが出来ました。ツアーメンバーも皆さん元気で、40年以上変わらないでいられるのは、友情を超えたご縁で結ばれた仲間だからなのだろう、と感じました。

 第一線で活躍し続けている浜省に負けないよう、私も頑張っていきたいと思います。

喘息らしさを測る② 好酸球が教えてくれること

2026.03.01

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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喘息は明確な診断基準がなく、医療者にも患者さんにもあいまいでわかりにくい病気です。ですが、喘息の仕組みは徐々に解明され、「タイプ2炎症」という「かいかいぐじゅぐじゅ」な気道の炎症(ただれ)が主な原因であることがわかってきました。2月1日のブログ「喘息らしさを測る① FeNOという道しるべ」で、タイプ2炎症の有無を客観的に判断する指標として、近年、呼気一酸化窒素(FeNO)、血中好酸球数、血清総IgEという3つの指標が活用されているとご説明しました。今回は二つ目の指標「血中好酸球数」について書きたいと思います。

好酸球は血液中にある白血球の一種です。細胞はそのままでは透明で観察しにくいため、顕微鏡で調べる際に染色を施します。好酸球は、酸性の染色液によく染まるため「好酸」という名前がつきました。好酸球には様々な役割がありますが、中でもタイプ2炎症の成り立ちと悪化に深く関係することがわかっています。呼気一酸化窒素(FeNO)が、タイプ2炎症が起きた“結果”として気管支内から多量に放出されるのに対し、好酸球はタイプ2炎症を作り出す“原因”の一つとして位置づけられます。

気道にタイプ2炎症が起きると、血液中の好酸球が気道に集まります。集まった好酸球は、花粉など外界からの異物や免疫細胞が放出する物質など、さまざまな刺激によって活性化し、炎症を強めてしまうことがあります。これが“原因”と言われる理由です。実は、痰の中に含まれる好酸球の量を測ることで、タイプ2炎症の程度を直接的に類推することができます。しかし痰は採取が難しく、検査に手間もかかることから、より簡単に採取・測定できる血液中の好酸球数を用いて間接的に評価することが一般的になっています。

タイプ2炎症の目安となる血中好酸球数には様々な基準がありますが、1回の検査で150個/μL以上、または過去1年間の検査のうち一度でも300個/μL以上であれば、気管支にタイプ2炎症が生じているとされています。さらに好酸球数は、治療に用いる吸入薬や注射製剤が効きそうか(効果予測)、複数ある注射製剤のどれが効きそうか(薬剤選択)を判断する際の指標にもなります。一般的には、好酸球数が多いほど治療効果があることが報告されています。一方、好酸球数が1500個/μL以上の場合は、喘息のような症状がある好酸球性多発血管性肉芽腫症やアレルギー性気管支肺真菌症など、別の病気が隠れている可能性があります。こうした好酸球が異常に増える病気を見逃さないためにも、当院では積極的に測定を行っています。

「なぜ喘息で採血?」と疑問に思う患者さんもいらっしゃると思いますが、血中好酸球数の測定は自己負担300~400円(3割負担の場合)と比較的安価であるにもかかわらず、喘息の状態を把握する上で重要な情報を提供してくれます。こうした理由から、喘息診療の拠りどころとして、もっと活用してよい検査だと考えています。採血にご理解いただければ幸いです。

Y先生にあこがれて

2026.02.15

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今回は中学時代の思い出です。小学校を卒業した私は、市立下田中学校へ入学しました。入学早々、新入生への部活の勧誘があり、最初はあまり気乗りしなかったのですが、小学校の時よく遊んでいた先輩や幼なじみが沢山入部していた、という理由で吹奏楽部に入部しました。楽器は、深く考えずに希望者の少ないトロンボーンを選びました。

吹奏楽部の顧問の先生がY先生でした。先生は、プロのフルート奏者としてオーケストラで活躍されていた経歴をお持ちでした。750ccの大きなバイクで通勤され、ヘルメットとサングラスがトレードマークのおしゃれな先生でした。

吹奏楽部には年間3つの大きなイベントがありました。毎年5月に開かれる下田市最大の祭典「黒船祭」のパレード参加、夏の全国吹奏楽コンクール、冬の定期演奏会です。中でも夏の吹奏楽コンクールは、とても大きなウエイトを占めていました。入部したての一年生はコンクールに出ることはまずありません。が、トロンボーン奏者が不足していたことから、音符もろくに読めず、正確な音を出すこともままならない状態だったのに、私は一年生から出場メンバーに入ってしまいました。演奏曲は、エルガーの「威風堂々第一番」。先生が編曲された譜面を使っていました。

下田中学校は、お世辞にも上手な学校ではなく、県大会に進めれば大成功というレベルでしたが、みんな一生懸命、練習に取り組んでいました。Y先生も夏休みを返上して、私たちの指導をしてくださいました。木造の古い校舎で冷房もないため、窓を全開にして、お気に入りの汗拭きタオルで汗をぬぐいながら、朝から晩まで指揮してくださいました。

先生の熱意のこもった指導の下、みんなと心を一つにして音楽を作り上げる――そんな毎日を送るうちに、私は先生に憧れて音楽家になりたいと思うようになりました。

3年生になり、私は吹奏楽部の部長になりました。田舎の中学で高校受験も公立以外に選択肢がないため、ろくな受験勉強もせず、相変わらず練習に明け暮れていました。
3年生にとって最後のコンクール、先生が選んだ曲はムソルグスキー(ラベル編曲)の「禿山の一夜」です。技術的には難しい曲でしたが、部員全員でこの曲の背景や物語を考え、感じ、コンクールでは、全力で演奏をすることができました。結果は金賞。ただ、金賞には県大会に出場できる金賞と出場できない金賞の2種類あり、私たちは県大会への出場はかないませんでした。それでも、先生が「音楽やったな!」と笑顔でたたえてくださり、最高の喜びでした。

吹奏楽コンクールの後、トロンボーンで音楽家になることを目指し、ピアノや聴音のレッスンに通うようになりました。が、自分に才能がないことに気づくまで、それほど時間はかかりませんでした。当時の私は「音楽家になりたい」と口では言っていたものの、音楽で生計を立てることの厳しさを理解できていませんでした。その覚悟もないまま「もしプロになれなかったら、学校の先生になって吹奏楽部の顧問でもやれればいいや」なんて安易に考えていました。今思い返すと、無私の心で部活動を指導し、進路の相談にも真剣に向き合ってくださったY先生に対し、なんて失礼だったのだろうと反省しています。

高3の春、医学部に合格したことを報告にうかがったとき、先生は「臼井は音楽やってもそこそこになったと思うけど、医学の道を選んでよかったと思うよ。沢山の人の心と体を救ってあげなさい」とおっしゃってくださいました。

吹奏楽は大学2年まで続けました。今では楽譜すら読めないようになってしまいましたが、音楽に限らず、絵画、彫刻などの人を癒すアートはとても好きです。
医学はサイエンスであり、アートです。医師は、とかくサイエンスばかりに目が行きがちですが、それだけでは患者さんの不安や辛さには寄り添うことができません。私は、Y先生が教えてくださった、人の心に寄り添えるアートを大切にする医師であり続けたいと思っています。

喘息らしさを測る① FeNOという道しるべ

2026.02.01

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
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喘息は診断基準のない、あいまいな病気です。糖尿病であれば血糖値やヘモグロビンA1c(HbA1c)、尿糖などの数値で客観的に診断し、治療を始めた後も定期的に検査することで、良くなっているか悪くなっているかを判断できます。一方、喘息の場合は、症状の詳細やアレルギーの有無など詳しい問診を行って「喘息らしさ」を集め、それらを元に診断するため、客観的な指標がありません。治療効果の評価も「ゼーゼーしなくなった」「咳が出なくなった」といった患者さん自身の主観が頼りです。そもそも明確な診断基準のないものを診断するのは専門医でも勇気がいります。患者さんが「自分は本当に喘息なのか?」「良くなっているのか、悪くなっているのか?」と不安になってしまうのも当然だと思います。では、喘息らしさや病状の変化を客観的に評価することはできないのでしょうか?

以前のブログで、喘息は「タイプ2炎症」という「かいかいぐじゅぐじゅ」な気道の炎症(ただれ)が主な原因であると書きました(2025.10.1「そもそも喘息って」)。近年、このタイプ2炎症の有無、つまり「喘息らしさ」を持っているかを客観的に判断する指標として、呼気一酸化窒素(FeNO)、血中好酸球数、血清総IgEという3つが活用されるようになっています。それぞれボリュームが多くなるので、今回はその中でもFeNOについて取り上げます。残る二つは次回以降、説明していきたいと思います。

FeNOは、下の写真にあるように、専用の機械に10秒ほど息を吐いてもらうだけで簡単に測定できます。タイプ2炎症があると、吐いた息の中に含まれる一酸化窒素(NO)が増えることを根拠にしています。感染症や喫煙などの影響を受けるため、状況に応じた判定が必要ですが、呼吸器学会、喘息学会のガイドラインでは、22ppb以上ならタイプ2炎症があると考える、と示されています。

FeNOは、治療の質を高める上でも役立つ指標です。吸入ステロイドなどによる治療を始めた後や治療中に定期的にFeNOを測定し、その値に応じて治療内容を調整すると、患者さんの主観的な評価だけを頼りに治療内容を調整した場合に比べて、喘息の増悪を防ぎ、呼吸機能の低下を抑えられることが報告されています。また、長引く咳の原因を特定し、適切な咳診療を行う上でも欠かせない検査です。当院では、咳でお悩みの患者さんに対して積極的に活用し、客観的な「喘息らしさ」の評価をした上で適切な治療を行うようにしております。

これまでの喘息診療では、明確な拠りどころがなかったため、診断する側も手探りになってしまい、治療がなかなかうまく進まないことが少なくありませんでした。しかしFeNOは、糖尿病におけるHbA1cと同じように、患者さんと医療者が治療の進み具合を確認しながらともに歩くための道しるべのような役割を果たせるものかもしれません。