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つながりブログ

山形での6年間

2026.05.15 ブログ

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
当院の「つながりブログ」をご覧いただき、誠にありがとうございます。

時代が昭和から平成へと移った1989年、私は山形大学医学部に入学しました。雪の降らない地域で育った私にとって、最初に驚いたのは、受験のため山形駅に降り立った時に感じた、凛とした空気の冷たさと降り積もった雪でした。入学が決まり、アパートへ引っ越しする時も、どれだけ防寒対策をしたらいいかわからず、六畳一間に石油ヒーター2台とこたつ、分厚い二重の遮光断熱カーテンを持ち込み、友人から「過剰装備」と笑われたことを覚えています。一年生の冬、凍結した道で滑って転びそうになる私の横を、地元のおばあちゃんがすたすたと追い抜いていくことも何度もありました。当時はスパイクタイヤがほとんどでしたので、アスファルトが削れ、春になると道路に深い轍ができているのも驚きでした。しかし、長く厳しい冬を抜けると、桜が咲き、新緑とともに一気に春が訪れる素晴らしさは、伊豆にいては経験できないものでした。

当時の医学部のカリキュラムは、2年間の教養課程ののち、医学専門課程に進むものでした。文系出身の私にとって、教養課程の物理、化学、数学などは、ほとんど呪文としか感じないもので、試験も半ば諦めて臨んでいました。幸い単位制であったこと、優秀な友人に恵まれたことで、なんとか無事に専門課程に進むことができました。

医学部の勉強はなかなかハードでしたが、勉強の合間に、春にはお花見、初夏にはサクランボ狩り、秋には馬見ヶ崎川の河原で芋煮会、冬には蔵王でスキーと、四季折々、自然豊かな環境で、沢山の素晴らしい友人と過ごすことができました。6年生になる頃には山形弁もうまくなり、病院での臨床実習で患者さんから山形出身と間違われるほどになっていました。

卒業後すぐに東京・築地の聖路加国際病院に入職し、以来東京で過ごす人生になりました。五十歳を過ぎた今、同窓生たちがそれぞれ責任ある立場の医師として活躍している様子をSNSで見かけるたびに、月日の流れを感じるとともに、学生時代の景色がふっとよみがえってきます。

写真は山形のサクランボです。サクランボ、桃、すいか、ぶどうなど四季それぞれのおいしい果物も、山形での日々を一層楽しいものにしてくれました。友人たちとサクランボ狩りに出かけ、元を取ろうとお腹いっぱい食べて、みんなそろってお腹を壊したことも今では懐かしい思い出です。