2025年もよろしくお願いします
西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
当院の「つながりブログ」をご覧いただき、誠にありがとうございます。
新年最初のブログということで、今回は私の自己紹介を少しだけしたいと思います。
(自己紹介、今後も少しずつしていきます。どうぞお付き合いください)
私は1970年2月、伊豆半島の先端にある下田市で生まれました。黒船来航で全国的に有名な観光地で、美しい海に囲まれた静かな港町です。
実家は、祖父の代から紳士服の仕立てをする洋服店でした。祖父は小学校卒業後、東京に丁稚奉公に出て縫製の修行をし、軍隊でも縫製工として働いた後、故郷の下田に戻り、半田屋という船宿を買い取って、洋服店を開きました。
店はパン屋さん、駄菓子屋さん、おもちゃ屋さん、金物屋さん、床屋さん、乾物屋さんといった様々なお店のある、昭和の商店街の真ん中にあり、私は小さいころから、アイロンやミシン、沢山の生地に囲まれて育ちました。そして、職人さんや店員さん、近所のお店の人たちに「臼井のやっちゃん」とかわいがってもらいました。
当時、下田にもデパートがありました。が、サザエさん一家のようにハレの日におめかししてレストランに行くぐらいの遠くて特別な存在で、日用品はほとんど近くの商店で済ませていました。私は祖母から買い物を頼まれては、そのお駄賃を握って駄菓子屋さんに行き、綿あめやよっちゃんイカを買っていました。近所には同世代の子供たちもたくさんいたので、お互いの家を行き来して、ほとんど兄弟のように過ごすことが多かったです。今ではなかなかできない昭和庶民ど真ん中の生活を過ごしていたと言えるかもしれません。
現在も、5月には黒船祭り、6月にはあじさい祭り、8月には八幡神社のお祭りがあり、下田には、たくさんの観光客がいらっしゃいます。しかし、昨今の少子高齢化の波にのまれた地方都市の例にもれず、過疎と高齢化が進み、実家のある商店街も一つ、また一つと閉店、取り壊しになり、夜は人通りもほとんどない寂しい街並みになってしまいました。私の実家も、洋服店自体は閉店しましたが、にぎわいを取り戻すため、母がひとりで町内の古い町並みの写真や古書などを展示するギャラリーをしています。最近では、祖父が母に買ってあげた古ぼけたピアノを再調律して、親戚のピアニストがサロンコンサートを開いたり、ピアノ教室として使ったりもしています。
写真は、ある正月の下田の風景です。正月と思えない暖かさと、澄み切った青空、白砂の海岸、伊豆七島を眺めることができました。 伊豆にお越しの際は、是非わがふるさとまで足を運んでいただければ幸いです。