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つながりブログ

Y先生にあこがれて

2026.02.15 ブログ

西新宿内科つながりクリニックの臼井靖博と申します。
当院の「つながりブログ」をご覧いただき、誠にありがとうございます。

今回は中学時代の思い出です。小学校を卒業した私は、市立下田中学校へ入学しました。入学早々、新入生への部活の勧誘があり、最初はあまり気乗りしなかったのですが、小学校の時よく遊んでいた先輩や幼なじみが沢山入部していた、という理由で吹奏楽部に入部しました。楽器は、深く考えずに希望者の少ないトロンボーンを選びました。

吹奏楽部の顧問の先生がY先生でした。先生は、プロのフルート奏者としてオーケストラで活躍されていた経歴をお持ちでした。750ccの大きなバイクで通勤され、ヘルメットとサングラスがトレードマークのおしゃれな先生でした。

吹奏楽部には年間3つの大きなイベントがありました。毎年5月に開かれる下田市最大の祭典「黒船祭」のパレード参加、夏の全国吹奏楽コンクール、冬の定期演奏会です。中でも夏の吹奏楽コンクールは、とても大きなウエイトを占めていました。入部したての一年生はコンクールに出ることはまずありません。が、トロンボーン奏者が不足していたことから、音符もろくに読めず、正確な音を出すこともままならない状態だったのに、私は一年生から出場メンバーに入ってしまいました。演奏曲は、エルガーの「威風堂々第一番」。先生が編曲された譜面を使っていました。

下田中学校は、お世辞にも上手な学校ではなく、県大会に進めれば大成功というレベルでしたが、みんな一生懸命、練習に取り組んでいました。Y先生も夏休みを返上して、私たちの指導をしてくださいました。木造の古い校舎で冷房もないため、窓を全開にして、お気に入りの汗拭きタオルで汗をぬぐいながら、朝から晩まで指揮してくださいました。

先生の熱意のこもった指導の下、みんなと心を一つにして音楽を作り上げる――そんな毎日を送るうちに、私は先生に憧れて音楽家になりたいと思うようになりました。

3年生になり、私は吹奏楽部の部長になりました。田舎の中学で高校受験も公立以外に選択肢がないため、ろくな受験勉強もせず、相変わらず練習に明け暮れていました。
3年生にとって最後のコンクール、先生が選んだ曲はムソルグスキー(ラベル編曲)の「禿山の一夜」です。技術的には難しい曲でしたが、部員全員でこの曲の背景や物語を考え、感じ、コンクールでは、全力で演奏をすることができました。結果は金賞。ただ、金賞には県大会に出場できる金賞と出場できない金賞の2種類あり、私たちは県大会への出場はかないませんでした。それでも、先生が「音楽やったな!」と笑顔でたたえてくださり、最高の喜びでした。

吹奏楽コンクールの後、トロンボーンで音楽家になることを目指し、ピアノや聴音のレッスンに通うようになりました。が、自分に才能がないことに気づくまで、それほど時間はかかりませんでした。当時の私は「音楽家になりたい」と口では言っていたものの、音楽で生計を立てることの厳しさを理解できていませんでした。その覚悟もないまま「もしプロになれなかったら、学校の先生になって吹奏楽部の顧問でもやれればいいや」なんて安易に考えていました。今思い返すと、無私の心で部活動を指導し、進路の相談にも真剣に向き合ってくださったY先生に対し、なんて失礼だったのだろうと反省しています。

高3の春、医学部に合格したことを報告にうかがったとき、先生は「臼井は音楽やってもそこそこになったと思うけど、医学の道を選んでよかったと思うよ。沢山の人の心と体を救ってあげなさい」とおっしゃってくださいました。

吹奏楽は大学2年まで続けました。今では楽譜すら読めないようになってしまいましたが、音楽に限らず、絵画、彫刻などの人を癒すアートはとても好きです。
医学はサイエンスであり、アートです。医師は、とかくサイエンスばかりに目が行きがちですが、それだけでは患者さんの不安や辛さには寄り添うことができません。私は、Y先生が教えてくださった、人の心に寄り添えるアートを大切にする医師であり続けたいと思っています。